成城の歯医者 : 平澤信彦

1988年 私立桐蔭学園中学・高校卒業
1994年 国立岡山大学歯学部卒業。同補綴科にてインプラントを研究。
1997年 東京の開業医にて分院長として勤務しながら矯正歯科を習得。
2000年 世田谷区成城にファーストデンタルクリニックを開院する。
2008年 医療法人社団ファースト理事長に就任する。
  • 世田谷区成城を中心に北は北海道・網走、南は福岡・大宰府から患者さんが来院して頂いてます。
    理論だけでなく、本質的な患者さんのためになる治療を目指し日夜汗をかいています。
    また、本サイトを通じインプラントの正しい知識の普及にも努めています。
  • 私生活では"Health is Power"をモットーとし野菜中心の食生活をしています。
  • 趣味は自転車のロングライド。マラソン大会やトライアスロンにも参加しています。


【成城の歯医者 コラム】
よく開業時の案内に「地域医療に貢献する」とありますが、成城の歯医者として地域に貢献するというより目の前の方のために治療しているというのが実感です。 最新の治療をするというのも、より良い治療をすることで健康になってもらうためであって、地域のためと言うのはピンときません。 私も成城に住んで長いので、地域に対する愛情はあるのですが、実際の臨床においては歯医者として人と人の関係が重要だと思います。 歯にお困りの方がいる。その方に問題解決の方法とより健康になっていただくためのプランを提案することがあります。 通常の仕事であれば依頼者に対して気に入ってもらえるような提案をします。しかし医療では時に厳しい現実を話す必要があります。治療計画が恐らく本人が想像していることを超えている場合も多々あるのです。 例えば、かぶせが取れただけの方に対してご本人は「また着けてもらえるだろう」と期待していらっしゃるわけですが、現実には中は虫歯がボロボロで根の治療や抜歯が必要なこともあるのです。 このような場合でも成城の歯医者として、現実を話して真実を話していくしかないと思っています。



【平澤をより知っていただく為の詳しいプロフィール】

子供の頃は、小田急線の柿生と鶴川の間ぐらいに位置する東京都町田市三輪町というところで育ちました。
当時結構な田舎で、駅までは歩くと30分以上かかるようなところです。親はサラリーマンでその頃は成城の歯医者とは全く無縁です。
歯医者は子供の頃からかかっており、今考えると虫歯の多い方だったと思います。ただ、当時予防してくれる歯医者もなく、学校検診で毎年むし歯を指摘されは成城ではないですが歯医者に行くという悪循環でした(泣)。

小学3年の秋からは中学受験勉強をさせられました。もちろん自分で勉強しだしたわけではなく、父親が会計士を目指して勉強していたのですが断念してしまい、今思うとその情熱が私の方に向けられたような感じだったようです。
公立の小学校に行っていたこともあり受験勉強している友達はおらず、遊びたいのを我慢して学校からすぐ帰って勉強していたような気がします。
その後、中学受験するも唯一合格した桐蔭学園に通い始めました。当時の桐蔭学園はあまりレベルが高くなく、自宅から自転車で通えるのが便利という程度です。

中学・高校時代で得意だったのが数学と美術で、英語・国語・生物・音楽などはとても苦手で、今もその傾向は変わらないかもしれません。運動もはっきり言って得意ではなかったです。そんな訳で、大学受験では工学部や理学部などを受験しようと思っていたのですが、たいした将来なりたい職業等もあるわけではなかったです。

ところが大学受験の願書を取り寄せようとした時期に、とても仲の良かった友人のエイチャンが突然歯医者になると言い出したのです。

歯医者など考えてもいなかった私は、早速調べてみると医学部ほど偏差値も高くなく、私にも受験できそうでした。そこで、親に「歯医者っていいのかな?」と聞くと「ソリャ、いいよ」と無責任な返事。真に受けた私は、歯医者になるべく歯学部を受験してしまうのです。ところが国公立の歯学部は少なく、当時の共通一次の関係もあり合格した「岡山大学歯学部」に入学したのです。



ところが当時の私は、「広島と岡山とどっちが大阪寄りか?」と言われるとすぐに答えが出ないぐらい岡山には無知な私でした。しかし数ヶ月するとすっかり馴染み、友人からは「本当に東京出身なの?」と言われるぐらい岡山弁が上達したのです。

大学在学中はやや歯並びが悪かったため、矯正治療を受けます。矯正によって歯はキレイになったものの、全ての親知らずと小臼歯の合計8本を抜いたつらい体験から、歯を抜かない矯正治療に興味を持つようになったのです。

卒業後は補綴学講座に研修医として残ります。補綴とはさし歯や入れ歯のことです。
「先生は歯医者として何年目ですか?」
何とか担当の患者様を任せられ自分なりには頑張っていた1年目でしたが、ある患者さんからキツイ質問を受けます。きっとあまりの手際の悪さに歯医者として呆れていたのだと思います。
その後先輩歯医者の診療をアシストし、見学して勉強させてもらいました。大学病院なので診療は4時頃に終わるのですが、その後は入れ歯などを夜12時ぐらいまで作っていました。本来は技工士さんの仕事なのですが、勉強のために自分で作るのです。大変な毎日でしたが、実際に作ると自費治療と保険治療の材料と技術のとてつもなく大きな差を身を持って体験しました。例えば、自費の金属では継ぎ目がスムーズにピッタリになるのに対し、保険の金属では歯との継ぎ目の部分にどうしても段差が生じます。時間をかけて丁寧に作成しても、材料的な差は埋めることが出来ないと感じました。「自分が治療されるなら絶対に自費の材料と技術」と確信した時期です。

その後、岡山県北の津山中央病院の口腔外科の歯医者として勤務を命ぜられました。ここは一般診療もしているのですが、口腔外科として一般の歯医者では手に負えないような顎骨の骨折や重症患者の治療にあたります。幸か不幸か私の勤務した時期には重症患者様がとても多く毎週手術の連続で大変でしたが、歯医者として勉強という意味ではよかったと思います。

その後、東京に戻り立川市で分院長として勤務していました。分院長といっても、歯医者は私一人なのですが開業20年の医院を任されていました。駅からも遠く離れた大通りからもずいぶん入った普通の建売住宅を改造した歯医者(リビングが待合室、キッチンが診療室、脱衣所がレントゲン室)ですが20年の歴史というのは素晴らしいもので、地域にはとても愛された存在です。
この時期に矯正治療などの師匠と呼べる歯医者の先生に巡り合い、入れ歯や歯並びが悪ければ虫歯や歯周病も根本的には治せないと確信した時期でもありました(すぐに再発してしまうため原因除去治療できないという意味です)。現在の診療スタイルの基礎が出来た頃です。

その後2000年に世田谷区成城に歯医者を開業しました。開業後は健康に関心の高い地域の患者様に大変恵まれましたが、同時に良い治療を長持ちさせていく為の予防歯科の必要性に迫られたのです。予防歯科というのは時間がとてもかかる割には採算が悪く、真剣に取り組んでいる歯医者自体が少ないのが実情です。
そこで、予防歯科の第一人者の歯医者のセミナーを受講し、予防に関心の高いやる気のある歯科衛生士を予防専門スタッフとして仲間入りしてもらいました。さらに予防専用の診療台を設け、じっくり時間をかけて予防できる体制と勉強できる環境を整えました。今では患者様から「予防に力を入れている成城の歯医者が近くにあって良かった」とご感想頂けるようになったのは歯医者としてうれしい限りです。

 
私の成城 歯医者として診療スタイルは患者様を一日でたくさん診療するより、少ない患者様にじっくり時間をかけ診療する方です。歯医者の治療とは、医科で言えば外科の小手術みたいなもの連続です。その為に丁寧に行えば時間がかかり、細かい作業ですので神経が磨り減るため、多くの方を診療できないのです。また保険の材料では限界があり満足できる結果は得られず、すぐにまた悪化しますので自費治療が中心に治療を進めてまいります。私たちは今後もより良い治療を通じて、徹底的に病気の原因を除去し、一生自分の歯で食事を楽しめ、笑顔に自信が持てる治療を目指してまいります。そしてそれを望む意識の高い方々と共に歩んでゆき、成城の歯医者として貢献していきたいと考えています。